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2018.8.9ブログ

僕が改めて“ソルフェージュ”のレッスンを受けてみて気づくこと。




“ソルフェージュの”詳しい説明は後回しにするとして、この2年半、月1回ペースでソルフェージュの専門のレッスンを受けに行っています。
音大卒の友人や、演奏家仲間に打ち明けると驚かれますし、実際、驚かれるのも無理もないだろうなと思います。
ふつうはプロとして音楽活動をしている人がわざわざ受けにいくようなものではないからです。

後でもう少し詳しく説明しますが、「ソルフェージュ」とは音楽をするために必要な「基礎能力訓練」と言ってもいいかと思います。
例えば、音大を受験すれば、普通はそれ専門のテストが課せられますし、入学してからもその授業を履修しなくてはいけません。
(ただし、最近の音大事情はかなり多様化してきているので、ソルフェージュが必須ではない場合もあるかもしれません。)

僕が、世の中には「音楽を専門に勉強できる大学(つまり音大というもの)がある!」ということを知ったのは小学校4年生の時。
はっきりとは憶えていないのですが、遅くとも小5になった時までには家族と、当時のピアノの先生に
「僕は、音大に行く!!」
と宣言をし、周囲を大いにざわつかせました。
(僕のピアノのレベルは音大を目指せるようなものではなかったし、親や先生の方もそんなつもりではなかった。)

まあ、色々とあった挙句、僕がその道に進むことが許可されたわけですが、
「だったらソルフェージュのレッスンを受けなくてはいけません。」
ということで、その頃からピアノとは別にソルフェージュのレッスンを受け始めました。

それから入試までの期間は「音大に入るためには必要だから」という理由だけでなんとか頑張れたし、特に高校の3年間は先生に恵まれたこともあってソルフェージュというものがとても楽しく感じられました。
でもやっぱり、根底にある動機は「入試に必要だから」というものだけだったので、一旦音大に入学してしまうと、一気にモチベーションがなくなり成績の方も一気に転落していきました。(興味のないものはとことんやらない性格。)
要するに、本当の意味での重要性を理解していなかったんですね。


ところが卒業してからこれまで、自分自身のことはもちろん、既に音大を卒業している後輩プレイヤーたちや、現役の音大生たちと関わりを持っていく中で、徐々にこう気づいていきました。
「ソルフェージュ教育をしっかり受けて来た人と、そうでない人の差は、演奏を聞いただけでも割とはっきりと表面化するものなんだな。」と。

■僕が大学生の時は“イヤイヤ”でしかなかったソルフェージュ。
■音大受験までの間は楽しかったけど、あくまで「入試のため」でしかなかったソルフェージュ。
そんなソルフェージュのレッスンでやらされていた課題の数々が、一体何と繋がっているのかをもう一度確認をしてみたくて、改めてレッスンを受けてみることにしたのです。

(冒頭の写真は、ソルフェージュの中でも「聴音」と呼ばれる課題をやったノート。ピアノで弾かれる音を、どんどん楽譜化していく学習です。)


ソルフェージュってなに?




「ソルフェージュ」について端的に説明するとしたら、僕はこう言います。

「楽譜(五線譜)という媒体を通して、その音楽がどのように作られているのか読み取る力」を育てるための訓練。

■もし建築に例えるならば、設計図を通して実際の建物の様子を正しくイメージする力。

■もっと身近なものだと、ある文章を読んだ時に、その文章が一体何を意図して書かれているものなのかを読み取る力。
→文字の書き方、読み方、文法などの学習をしつつ、実際に自分で文章を書いてみたり、文章を読ませたりする。
→つまり国語の授業で行われていることですね。

要するに、音楽における「書き方、読み方、文法」の学習がソルフェージュということになります。

小学生の年齢のうちにひらがな、カタカナ、漢字を学習しないまま成長したらどんな大人になるか想像してみてください。
おそらく、ある時点までは話し言葉を通して、日常生活に最低限必要な言語力は育っていくものと思います。
ですが、それ以上の成長を見込めるでしょうか。

■実は、音楽においても同じことです。
「ソルフェージュ訓練」を無視したまま、ピアノを弾く技術(手指などの運動)だけを伝えていったとします。
特に子供は吸収が早いですから、教師の弾く様子をよく観察し真似ていきます。
楽譜を必要とせずに“まねっこ”だけで、ある程度のところまではピアノが弾けるようになるんですね。
でもいずれ、それだけでは弾けなくなる時がやって来ます。
学習する曲の難易度が増し“見よう見まね”だけでは理解が追いつかなくなる時です。
(小学校高学年〜中学生になる辺りでこの壁にぶつかることが多いようです。)

ここまで来てしまうと、振り出しに戻って「楽譜の読み書きをやりましょう」というのは、本当に難しいものです。
(本人の自尊心を傷つけないよう細心の配慮をしていきながら、数年・或いはは10年以上もの間「OK」とされていたやり方を変えていかなくてはならないのです。)


今となっては当たり前に必要なものとされているソルフェージュですが、実はひと昔前までの日本のピアノ教育では、「ソルフェージュ教育」が軽視される傾向があったようです。
まだそこまでの必要性は認識されていなかったでしょうし、とりあえずピアノさえ弾かせておけばそういう能力は自然とついていくだろう。と思われていた節もあるようです。もちろん答えは“NO”です。

でも、だからといって、このようなひと昔前までのピアノ教育を完全否定するのは違うと思っています。
医療や様々な技術が時代と共に発達してきたのと同じように、ピアノ教育も発達しています。
前の世代の人々がその時代のニーズの元に積んだ経験を、次の世代の者が引き継いでいくのだと思います。
それが成功の経験であろうと失敗の経験であろうと同じ。
前の世代まででは及ばなかった問題に、今の世代の人たちが気づき、解決しようとしているのです

実際「ソルフェージュ訓練=楽譜を理解する能力をつけるための訓練方法」は、様々な教師たちによって試行錯誤が重ねられ、音大入試で課せられるような“おカタイ形”のものだけではなく、様々な“やり方”が生み出されてきています。
薬学の発達により個人の体質に合わせた薬の処方ができるのと同じように、生徒の個性に合わせて教材を選び分けられるようになってきているのです。

別の言い方をすれば、「難しいことを難しいまま教え込もうとするのではない方法」が沢山編み出されているということ。
もう「努力・忍耐が当たり前!」の時代ではないですね。


僕が2年半前に改めてソルフェージュのレッスンを受け始めたのは、最初に書いたように「僕自身の好奇心を満たすため」だったのですが、結局そのことが「自分が教える」ということにも大きく繋がっているようです。
そしてまだもうしばらくは続けていくつもりでいます。


超有名ピアノ曲「乙女の祈り」をクルト・ヴァイルがアレンジすると!?




あの有名な「乙女の祈り」がクルト・ヴァイル作曲のオペラ「マハゴニー市の興亡」の中でパロディとして演奏されます。
元々は曲名の通り優美な雰囲気の音楽ですが、その優美さがかなり誇張表現され、なんだか麻酔を打たれたような不思議な感じ!?
2018年3月に演奏した映像です。





Coming Soon





ずっと実現させたかったコンサート。 2018年10月、2019年2月。
まずは前者チームがいつものスタジオに集結!!
詳細は間も無く公開。

▼今はまずチームメンバーだけ公開!!
(50音順)
井出壮志朗
織井香衣
川越塔子
清水龍之介
鈴木俊介
谷川瑠美
西本真子
野口幸太
舟橋千尋
前田めぐみ
横山修司



野口幸太ピアノ教室 募集状況








(2018年8月9日現在)
9月以降について、若干名、新たな生徒さんのレッスンをお受けすることが可能となりました。

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