中学の時の夢は「歌って踊れるピアニスト!!」なんて言い回って、卒業文集かなんかにも書いていました。
ストレートに「ピアニスト」と言えばいいものを、なんとなくそれが照れくさかったりしたのでしょうか。
或いは、当時の僕の中で思い浮かべる「ピアニスト像」と言えば、クラシックの超難曲を何百曲とレパートリーにしているような人たちのことを指し、自分はそれにはなれないだろう。ということも薄々わかっていたから、そんな凄いピアニストさん達とは違う路線を模索しなくては!という気もあったように思います。。
そうかと思えば、ただ単純に「ピアノが弾けるだけの人間ではダメなんだ!!」という思いも持っていたのも確かで、
そんな色々な感情が、「歌って踊れるピアニスト」なんて言葉に繋がったのだと思います。
ここ最近は同世代の人たちとの交流が少し刺激的で、同じ世代の彼ら彼女らはどんなプロセスがあって今があるんだろうな〜なんて漠然と思っているうちに、そもそも自分自身はいったいどんなだっただんだろう。
なんて改めて振り返ってみるわけです。
そんな中で思い出したのが「夢は“歌って踊れるピアニスト”宣言」でした。
卒業文集に書いたことは確実なのですが、その文集自体が見当たりません。。。。
残念。
その代わりに発見したのが、小学校の卒業文集でした。
さすがに小学校の卒業文集でどんなことを書いたのかまでは憶えておらず、興味本位でページを開いてみたところ、冒頭の写真の通りでした。
意外でした。
小4の時に世の中には音楽を学べる大学というのがあるらしいということを知り、突如「音大に行く」宣言をし、家族を大いにざわつかせ、ピアノ先生からは猛反対をされました。
(先生は最終的にはとっても協力してくださり感謝しています。しかもその猛反対があったから頑張れた部分もあります。)
ただ、あの時の僕はあくまで目標は「音大に行く」で、その先のことなんてほとんど考えていなかったように思うのです。
それなのに、、、
「あ〜〜そうだったんだ。小学生の僕は音楽の仕事をしたかったんだ。」
なんだか、自分でもよくわからない涙が出そうになりました。
そうすると、小学校の時の音楽の先生とのエピソードも次々と思い出していきます。
先生に頼み込み、放課後は音楽室のグランドピアノで練習をさせてもらったこと、
歌のテストでべた褒めしてもらったことをきっかけに声楽のレッスンに通い始めたこと。
そしてこのことは、今の僕がオペラのピアノや、声楽家さん達との交流を多く持たせて頂いていることとも直接結びつくエピソードです。
僕は誰しもが「将来の夢」を持った方がいいなんていう風には思っていませんが、
僕個人にとっては必要なものでした。
その気持ちが結構色々な場面で僕を救ってくれていたんですね。
12歳の頃の僕に「37歳の君は、ちゃんと音楽関係の仕事しとるで〜」と伝えてあげたい気分ですが、そんなことしたらきっと色々と怠けたかも??ですね。
放っておきましょう。(笑)
それにしても「歌って踊れるピアニスト」、、、歌はまだいけるとして、踊りの方はまったくダメですね。。。
中学生の頃の僕の夢は叶えられないかもしれません。笑
「アメイジング・グレイス」を弾きました
世界中で親しまれている曲ですが、
誰が作曲したかははっきりとしていないという、
ちょっとミステリアスな歌。
作詞は、ジョン・ニュートンというイギリス人。
彼がこの歌を作る(作詞)にいたったストーリーがまた劇的です。
ここで書くと長くなるので、興味があればWikipehiaのページにも掲載されています。