突然ではありますが、ピアノ教室について、新規の生徒さんの募集を一旦ストップすることにしました。
新規のご入会は、本日時点で体験レッスンのお問い合わせを頂いている方までとし、募集の再開は「その時がきたら」と、することにします。
2011年4月に、今の場所でピアノ教室を開き、条件付きでの募集に切り替えた時期はありつつも、全面的に募集をストップしたことは一度もありませんでした。
許容量を圧倒的にオーバーするほど劇的な数の問い合わせがあったわけではなかったから・・・・という見解もありますが(それに退会されていった方もいらっしゃるし。)それでも順調に生徒さんが増えていったことは、やっぱり有り難いことです。
開業以来、経理面や運営面での相談役になってくれている叔母の存在は大きく(僕の最も苦手な分野です。)、また、「生徒さん集め」という、教室運営において最初に乗り越えなくてはならない壁を越えるために、力を貸して頂いた「ピアノ教室ねっと」さんには、本当に感謝しています。
特に、資金も人脈もネットの知識もほとんどなかった初期のころは、まるで魔法でも使われているかのように、次々と新しい生徒さんをご紹介してくださいました。
今でも在籍している生徒さんのうち、およそ1/3の生徒さんは、こちらからご紹介を頂いた方々です。
更に、昨年10月には「feel design」さんにこのホームページを作って頂いて、一気にアクセス数や問い合わせの数も増えました。
ゼロどころかマイナスの状態からリスタートさせた自分の仕事が、こうして段階的にステップアップしていっていく様子に達成感を感じつつも、(これは今だから気付けた事ですが)同時に、焦りも強くなっていったようです。
自分のようなフリーの立場の人間が社会で生き残っていくためには、今のうちにもっともっと頑張っておかなくちゃいけない!
今、教室に来ている生徒さんに、もっと質の良いレッスンを提供しなくてはならない!
自分の仕事がもっと意味のあるものでなければならない!
仕事ってそういうものだろ!!
もっと、もっと、もっと・・・・。
・・・と、体力面、精神面、どちらにおいてもとことん追いつめていったようで、また、そうしている自分が誇らしくもありました。
このことは、当時の自分には必要なことだったので、後悔はしていません。
そうすることで得られた物や時間があったことも事実で、今後も自分の基礎の一部になっていくものと思っています。
ただ、昨年末辺りから少しずつ、身体が「そろそろ限界に近づいてるよ~。」という信号を発し始め、それはもう手を変え品を変え、様々な方法で次々と発信されてきました。
同時期の頃から、レッスンにおいても、あれだけ頑張ってプランを立てたり、自分で教材を作ったりしながら、質の向上を目指して、改善を重ねてきた(と思ってた)ことが、少しずつ通用しなくなってきていることや、このやり方で辿りつけるテッペンも見えてき始めた・・・。
これは怖い。
怖いからまた新たな焦りが生まれ、更に頑張る。
で、負のスパイラルの始まり始まり。
頑張りを重ね、あの手この手でアプローチを試みる。
期待していた物が返ってくるものもあれば、そうでないことも多い。
半々。
半分の失敗が許せない自分は、その分の損失を補おうとますます躍起になる。
このままだと、本当にポッキリいってしまうぞ!
・・・と、やっと立ち止まったのが5月に入ってから。危なかった~~。
頑張らなくてはいけないのは、自信が欲しいから。
自信がないのは不安だから。
不安定な土壌の上に、“頑張ったから”“努力したから”という条件付きの自信もどきをいくら積み重ねてみても、ちょっと想定外なことが起こった瞬間ガッシャーン!!と崩れてしまうんですね・・・。
そして、世の中想定外なことだらけ。(笑)
そこのところの間違いに気付けなかった。
辞書の通り、自己を信頼することが自信なのだとしたら、まずは今自分にあるものを、一つずつ見つけていこう。
住む家はある。
レッスンを出来る環境はある。
通ってきてくださる生徒さんもいる。
ピアノを弾く場もある。
去年から借りっぱなしになっていた、上橋菜穂子さんの長編を夢中になって読む時間もあった。
旅行に行く時間もあったし、一緒に行く人もいた。
必要なお金だって、ちゃんと自分の所にも流れてきてる。
こなしきれない仕事を、「助けてー!」と言ったら、二つ返事で引き受けてくれた後輩もいる。
「このままじゃ頭打ちだ~頭打ちだ~」と、言いまくっていた僕に「それって、今の自分が出来るとこまで辿り着けたってことじゃん。」なんて言ってくれた友人もいました。
ないと思ってたから躍起になって作りだそうとしていたけれど、実は「あった」だらけ。
受け取れてなかったんだな~~、
今あることをキャッチできないのに、その先のものを得られるはずないじゃんか・・・と。。。。
で、「逆に動きだす」の話。
今の自分の在りようは、これまでの自分がその都度選択してきたことの積み重ねの結果だと言います。
もし、今が行き詰まっているのなら、これまでとは真逆の選択を続けていったらどうなるだろうか。
試してみたい。
と、まずは怖くない(それほど勇気を必要としない)選択から始めていく。
例えば、
いつもなら急行に乗るところを、ぐっとこらえて各停に乗る。
満腹なのに「もったいないから」と、(食べたくもないのに)完食していた食事を思いきって残す。
必要だ!と思って、長年本棚にしまったままになっていた本をエイッ!と処分する。
こんなことで、小さな“出来る”を確認。
次はちょっと怖いこと。(勇気のいること。)
例えば、
今までだったら、なんとなく引っ込めてしまっていた「No!」を相手に表明してみる。
→あっ、なんともなかった。むしろ、会話がもっとナチュラルに進んでいった気がする。
値札を見ずに、欲しい物を選んで買ってみる。
→なんか良い買い物をした気がする!なんだろ、この満足感!(笑)
今までは疲れていても絶対にやっていた経理や事務仕事の延期を許可する。
→ちょっとピンチになったけど、「ヤバーーイ!!」と言ったら手を貸してくれる人がいた。
レンタルDVDの返却をわざと一日遅らせてみる。
→延滞料400円損したところで、なんら問題はなかった。
ピアノの練習を数日間休んでみる。
→このせいで弾けなくなるなんてことはなかった。(弾けない部分は相変わらず弾けなかったけれど。)むしろ、ちょっといい距離感でピアノとお付き合いできた。
滑稽に映るかもしれませんが、今の自分が出来ることなんてのはこんなもん。
(あっ、今「宇宙兄弟」に出てきた「できることから習慣づけないとダメだ」という台詞がよぎりました。)
で、ここからはもう発見の毎日です。
自分の周囲にも、自分自身の中にも。
そして、この作業の一つ一つは、今まで許してこなかった自分自身のことを許可することでもある。と、気付かされました。
やりたいことを選んでも良し。
事務処理が下手でも良し。
遅刻をしてしまったら、それでも良し。
ピアノが下手でも良し。
上手くピアノを教えられなくても良し。
節約しなくても良し。
その日のうちに食器を洗わなくても良し。
結果、嫌われても良し。
今までと全く逆のことを選択していくうちに、現実の方も少しずつ逆に回り始めている(見え始めている?)ことに気付き始めます。
ピアノ教師という立ち場において“ピアノを弾けるようにする”は絶対的な職務であり、それが出来ない自分には教師としての価値がない。
でも敢えてそこを許す。
いや、許すことは出来なくても、取りあえずそういうことにしてみる。
いつもお母さんの後ろに隠れて、なかなかこちら側に出てこようとしない子には「そのまま帰ってもいいよ。」「弾かなくてもいいよ。」ということにしてみる。
そしたら、自分から歩み寄ってきた。
「もういい」って言っているのに、「次の曲もやってみたい!」と、勝手に楽譜のページをめくりだす。
時間が終わっても、教室に居ようとする。
言葉の理解に困難を要する子には「わからなくてもいいよ。」「弾けなくてもいいよ。」ということにしてみる。
そしたら、それが結局何に因るものだったのかわからないけれど、伝えたいことが伝わり、理解してくれた。で、すぐ弾けた。
音楽を感じる耳は素晴らしいのに、いつも読譜でひっかかる子には「楽譜を読めなくてもいいよ。」ということにしてみる。
そしたら「あれ?読めちゃったね!!」となる。
要するに、教師として「その気にさせられない自分」「理解させられない自分」「教えられない自分」でも許すということでした。その後に「どうせ出来ちゃうんだもん。」と一応くっつけておく。(笑)
これは、一時間ほど新宿の紀伊国屋書店内を彷徨っていた時にたまたま見つけた心屋仁之助さんの著書から学んだテクニックです。
ただしもちろん、全てが上手くいったわけではありあません。
やっぱり半々です。
ですが、方法論ばかり求めて躍起になっていた時とは、見え方、感じ方の幅がまったく違う。
で、前よりも楽しい。
きっと、力みが取れてリラックスした状態が作れる。ということなのかな?と思っています。
そんな風に、自分のあり方をきちんと修正出来た時、必死にコレクションしてきた“やり方”も、もっと活かせるようになるのかな。と感じてきています。
それは教室のお仕事だけに限らずです。
そして最初の話。
実は水面下で、なかなかな競争が繰り広げられているらしいピアノ教室業界。
“らしい”と言うのは、個人経営が多いこともあり、当事者同士の情報交換の場(←特に経営面での)がほとんどないのが普通で、実態が明るみになり辛いんです。
(もしかしたら僕が知らないだけかもしれないけど。)
募集を止めることは、戦線離脱することになる。
この先、何も保証のない中でそれはいかん!
でもやっぱ辛くなってくるよな~~
と、あれだけ決め兼ねていたことが、ちゃんと必要な事、人、物がある!とわかった時、すんなりと決めることが出来ました。
今までとは逆のことをしてみます。
今、自分の周りにある一つ一つのことや一人一人のことを、きちんと見ることが出来た時、自ずと次のことが動き出すのだと思っています。
今はそのためのお稽古期間。
ところで、ピアノ演奏のメンター役をしてくれている友人が、数か月前に僕に放った一言。
「まー(野口は)本当に手の内を明かさないね。」
・・・。
友人から言わせると、ある時から、ブログの更新頻度やSNSでの投稿がガタっと減った。
たまに上がったとしても差し障りのない内容ばかり。
→それが「手の内を明かさない。」に繋がったようです。
「いや~これと言って人様に公開するようなことがないんだよ~。」
なんて抵抗をしつつ、確かにそれも本心ではあったけれど、、、今思えば、はい。閉じてました。(笑)
と、今なら素直にうなづけるわけです。
中島みゆきさんの「糸」を弾きました
中島みゆきさんは、
中学生の時、日曜夜のラジオ番組をよく聴いていました。
(お時間拝借。。。って番組名でしたか?)
歌の雰囲気とは一転、とっても明るい話し声が今でも印象に残っています。
糸は僕が高校の時にドラマの主題歌になったのがきっかけで知りましたが、
作ったのはもっとずっと前だったのですね!